第61回研究会「陰影化粧としてのアイシャドウ使用――誰のための化粧なのか」

2022年10月22日(土)

議題:「日本近代期における、アイシャドウ使用法の描かれ方の変容について」

発表タイトル「陰影化粧としてのアイシャドウ使用――誰のための化粧なのか」

講演者:増渕美穂(立教大学院修士/独立研究者)

(ZOOMオンラインにて開催)

本研究会は増渕美穂さん(立教大学院修士/独立研究者)をお招きして、1920~30年代のアイメイクをテーマにお話をうかがいました。内容は『日本民俗学』308号で発表された、「近代戦間期における眼の化粧法の変容」をベースにしています。

1920~30年代は、日本で「モダンガール」が話題になった時期。洋装・洋髪・派手な化粧など、ファッションにおけるその新しい女性像は、最初は物議を醸すものでした。当初、モガのアイシャドウは批判的にとりあげられていたのですが、1930年代には、女性の魅力を引き出す化粧として好意的に書かれるようになりました。


 今回の研究会では、アイシャドウが社会の中でどのように受容されていったかを、読売新聞の記事を中心に考察しています。なかでも、初期のモガのアイメイクは「目の周りを囲い込む」と表現されていたのが、1930年代には、顔に陰影を足して立体的に見せる「目の隠し化粧」という言葉に置き換わったというのは、興味深い視点でした。


 増渕さんはその理由として、礼儀としての化粧が重視されてきた日本において、アイシャドウは、欧米のような自己表現としての化粧でなく、「隠し化粧」という従来の化粧と親和性のある切り口で、美容家たちによって一般女性に訴求されたことを挙げています。


 同時に、1920年代後半には、ぱっちりした目を美人の基準とする記事や、女優の二重瞼整形手術の記事があるなど、目の美意識が変わっていたことを指摘。背景にある明治以降の欧化政策や、ハリウッド映画の流行など、女性を取り巻く社会の変化との関係も織り交ぜながらお話いただきました。


 後半のディスカッションでは、現代との比較で、女性誌『anan』が先鋭的なメイクを紹介、その後『JJ』が日本人に合うメイクを提案した構図と重なるという意見がありました。また、研究資料として提示された昭和初期の資生堂のアイシャドウのパンフレットを巡り、その色味や分類についての質問で盛り上がるなど、充実した内容の研究会でした。

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